参議院議員選挙があったこの機会に、過去のブログに書いたことを、加筆修正しながら再掲します。
「ひとり一票」がいまの民主主義の原則なので、政治のことを考えるのが得意でない人が一定数いるのはしかたない。だからといって、そういう人たちからの集票を狙って、明らかに能力のない「有名人・タレント」を擁立する政治家や政党は、判断力の衰えたお年寄りを狙う振り込め詐欺犯となんら変わるところがない。
「ひとり一票」の民主主義よりもいい方法はないか。裁判員のように「投票員」を無作為に(統計的に問題ない程度に大勢)選んで、その人たちには完全休業補償をして、候補者の主張を一生懸命に聴いてもらったうえで投票してもらう(民意2.0)というのはかなりいいように思う。
衆参両院の主力政党が異なる「ねじれ現象」がなければ二院制の意味がない。というか、参議院はいろんな立場の人がそれぞれの観点で衆議院で審議された立法内容を審査するのを第一義とするべきで、政党色はないほうがいい。政党性を前提とする比例区などもってのほか。百歩譲っても、参議院における各党は、自党の設立理念に関わる部分以外では議員に対する党議拘束をかけないで欲しい。
国会議員は「全国民の代表」である(日本国憲法前文および第43条)。「地方の代表」である必要はないし、年代別、年収別、職業別の代表でもなくていい。だいたい選挙民をある属性で区分けして、それぞれから代表を出すというのはいい方法なのか。国会で議論すべき議題のカテゴリ別に適任者を選ぶほうがよくはないか(選挙区)。
チャーチルの有名な言葉:
民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外のすべての政治体制を除けばだが。
もちろんこれは、民主主義が(今のところ)最良の手段であると言っているわけですが、同時に、『これが最終形であるとは限らない』『よりよい手段を追求し続けるべきである』と解釈したいと考える次第です。