狼なんか怖くない 〜ウルフトーンを可視化する〜

50年前に買ったギター」に書いたとおり、当該ギターは強めのウルフトーンがラ(5弦開放)からシ♭(5弦1フレット)のあたりにあって、演奏上とても邪魔になります。このひと月ほど我慢して使ってきましたが、どうしても気になります。もしウルフトーンがもう少し低い音、たとえばソからソ#のあたりにあって、強さも控えめならば、普段使いの練習用として気持ちよく使ってやれるのに、と思っています。

ということで、この『田村満1973』のウルフトーンを改善するプロジェクトを始めることにしました。

なにはともあれ、ウルフトーンの正体から探っていきましょう。

ウルフトーンを引き起こす最大の要因は、ボディ内部の空間(キャビティ)の体積と開口部(すなわちサウンドホール)の面積などによって決定されるヘルムホルツ共鳴であろうと想像しているのですが、ギター全体としての最大の共鳴体は表面板なので、まずはこれについて見ていくことにします。


■表面板の固有振動数

表面板にはいろんな振動モードがありますが、ウルフトーンに一番関係ありそうなのは、(0,0)モードとも呼ばれる、もっとも低い周波数で振動するモードです。すなわち、表面板全体が分割振動することなく一様に出たり引っ込んだりする振動パターンです。

ブリッジを指で叩くと、ボンという低めで音程感のある音が聞こえます。これが表面板の最低の固有振動の音であると考えて、波形を見てみました。

大きなうねり(数Hz)は楽器全体の振動と思われるのでこれを無視すると、正弦波に近いかなりきれいな波形です。これならば周期を測定して、そこから固有振動の周波数が計算できそうです。

実際の測定は、輪ゴムで吊った消しゴムをブリッジの上に落として1回だけバウンドするようにして、その時の音を収録し、波形編集ソフトで周期を測定しました。

弦を張った場合と張らなかった場合の両方で測定を行いました。また、板の質量も関係すると考え、錘を付加した場合の測定も行いました。

「弦あり」の場合は、通常の調弦(A=440Hz)で6本の弦を張り、ただし弦は振動しないようにしています。

錘は磁石8個を2個1組にして表面板の表と裏から取り付けました。錘の合計重量は60g。

結果は以下のとおりです。

表面板の固有振動数 弦なし、錘なし 242Hz
表面板の固有振動数 弦なし、錘あり 188Hz
表面板の固有振動数 弦あり、錘なし 234Hz
表面板の固有振動数 弦あり、錘あり 186Hz

錘の効果は顕著ですね。重くすると振動数が低くなるのは予想どおりです。

一方、弦を張っても固有振動数が低くなるのは意外でした。太鼓のイメージから、テンションがかかったら高い音になるとものと想像していました。張力の方向が表面板に垂直ではなくてほぼ平行なので、「振動のしにくさ」が増しただけということでしょうか。

いずれにせよ、5弦の開放音の110Hzからはかなり離れています。


■キャビティの固有振動数

次はキャビティの固有振動の測定です。二通りの計測方法を試してみました。

【共鳴法】
楽器に特定の周波数の振動を与え、サウンドホール付近で捉えた音の大きさを周波数ごとに比較します。こんな(↓)感じです。

手前にあるのはiPadで、これで正弦波の音を鳴らします。iPadはギターに触れているので、その音の振動が楽器に伝わります。この周波数にキャビティが共鳴すれば、サウンドホールの真上に設置したマイクで収録した音が大きくなるはずです。

どうでしょう。113Hzにピークがあって、聴感上のウルフの位置と一致しています。うまくいっていると思います。

【解析法】
念の為、別な方法も試してみました。

サウンドホールの縁に息を吹きかけるとシューっという音がします。よく聞くと音程感のあるボーという音が含まれています。もちろんビール瓶を吹いた時のような明確な音は出ませんが、これがキャビティの共鳴音だろうと思います。

で、その音を収録してフーリエ解析しました。結果がこれ(↓)。

なにしろ音源が「サウンドホールの縁に吹きかけた息」なので、安定した結果とは言いがたいところですが、それでも109〜115Hz付近で大きな値を示していて、共鳴法の結果とも一致しています。

ということで、二つの方法で同じ結果が得られたので、手間のかからない共鳴法で測定することにしました。

結果は以下のとおり。

キャビティの固有振動数 弦なし、錘なし 113Hz
キャビティの固有振動数 弦なし、錘あり 110Hz
キャビティの固有振動数 弦あり、錘なし 113Hz
キャビティの固有振動数 弦あり、錘あり 109Hz

弦の有無は関係ないですね。錘の影響が少しありそうです。キャビティの体積に影響するほど大きな磁石ではありませんが、なぜでしょう?


■他の楽器との比較
面白くなってきたので、手持ちの他のギターも測定してみました。俎上に乗せたのは以下の4台。

・ラミレス10弦 表面板の面積最大で、ボディの厚みも最大
・星野ギター 表面板の面積が田村ギターよりもわずかに大きく、ボディも厚い
・松井ギター 表面板の面積、ボディの厚みとも、田村ギターとほとんど同じ
・田村ギター 基準

なお、サウンドホールの大きさは、みな示し合わせたように直径85mmです(後日詳細に測定したら86mm前後で、楽器ごとにコンマ何ミリかの違いがありました)。

結果は以下のとおりです。

表面板の固有振動数 ラミ 弦あり 224Hz
表面板の固有振動数 星野 弦なし 207Hz
表面板の固有振動数 松井 弦なし 200Hz
表面板の固有振動数 田村 弦なし 242Hz

キャビティの固有振動数 ラミ 104Hz
キャビティの固有振動数 星野 105Hz
キャビティの固有振動数 松井  96Hz
キャビティの固有振動数 田村 113Hz

大きなボディの楽器ほどキャビティの固有振動数が低い、というのが当然の予想なわけですが、松井ギターだけが異常な値となっています。何度も測定したので間違いではありません。

松井ギターは表面板の固有振動数も低くて、松井さんがどのようなマジックを使われたのか知る由もありませんが、ともあれラの音から離れた低いところにコントロールされていて、見事という他はありません。


■キャビティと表面板の関係

松井マジックや、表面板の錘の有無がキャビティの固有振動数に影響することを考えると、キャビティの共鳴は単純なヘルムホルツ共鳴ではなくて、表面板との相互作用によるものと考えた方がよさそうです。

そこで、今度は表面板を押さえつけて振動しないようにして(表面板に毛布をかぶせて、重石を乗せた)、キャビティの固有振動数を測定してみました。

キャビティの固有振動数 松井・表面板拘束 111Hz
キャビティの固有振動数 田村・表面板拘束 116Hz

固有振動数は上昇しました。特に松井ギターはずいぶん高くなって、田村ギターに近づきました。このあたりが純粋なヘルムホルツ共鳴の周波数なのだろうと思います。


■ウルフトーン周波数
最後にウルフトーンそのものを可視化しておきます。まあ、音を聞いた方がわかりやすいところではありますが、波形でも確認しましょう。

5弦開放弦を105Hzから1Hzずつ上げていき、そのつど弾いた音の波形を並べてみます。表面板に錘をつけた場合とデフォルト状態とでやってみました。

錘ありの場合は109Hz付近、錘なしでは113Hz付近という、それぞれキャビティの固有振動数の付近で瞬間的な振幅が大きくなっていますね。

もうちょっとわかりやすくするために、錘なしの113Hzと120Hzの波形だけを拡大してみます。

ウルフから離れた120Hzの音はスッと立ち上がりきれいに減衰していますが、それと比べると113Hzの音はもっさりと立ち上がり、ピークに達したと思ったらあっというまに減衰しています。耳で聞くボワンという音のとおりのイメージです。


■まとめ

ここまでの測定で得られた結果のまとめです。

・ウルフトーンの周波数はキャビティの固有振動数と一致している
・キャビティの固有振動数はヘルムホルツ共鳴と表面板の振動との相互作用で決まる


■今後の予定

測定することが目的ではなくて、田村ギターを使えるものにすることが最終目標です。

具体的には、

・ウルフトーンの周波数を100〜101Hzあたりにしたい(ソとソ#の中間)
・キャビティの共鳴を弱くしたい(いわゆる共振のQ値を下げたい)

ということです。

松井マジックのタネは分からないし、分かったところで表面板の(特に裏側の)加工などできるわけもないので、周波数を下げる方策として考えられることは、

・トルナボスを取り付ける:ヘルムホルツ共鳴のダクト長を明確に長くする
・サウンドホールを狭くする:ヘルムホルツ共鳴の開口部面積を小さくする

といったあたりなのですが、どちらも共鳴の強さが増すような気がしています。

そもそも共鳴の強さをどう評価したらいいか、そのあたりも考えていかなくてはなりません。

でもまあ、考えてばかりいてもしかたないので、次はトルナボスでも作ってみましょうか。

・・・ということで、次回に続きます。

【参考書籍】
 楽器の物理学(丸善出版)
 https://www.maruzen-publishing.co.jp/item/b304141.html
 http://ajitei.sblo.jp/article/22651783.html

8件のコメント

  1.  所有している黒沢哲郎氏作ギターのウルフトーンがGです。Gは良く使うので気になったので、ヘルムホルツ共鳴理論からサウンドホールの面積を小さくすることを試しました。サウンドホールを透明樹脂版(OHP樹脂板)で少しづつ塞ぎながらウルフを確かめていきました。開口面積を小さくするとウルフの周波数が低くなる。F#あたりになる位置で同じ大きさのボール紙(表面が黒色)のものを指板側の表面板裏側に両面テープで貼り付けてみました。
     表面板との相互作用ですか、そうですね。駒裏に重りを付ける何をどうつける?が課題ですね。
     興味深い記事でした、次回も期待しています。

  2. 遠藤さん、コメントありがとうございます。返答が遅くてすみません。
    開口部の面積を変えることも試してみたいので、遠藤さんのやり方も参考にしたいと思います。

    1. 大変興味深く拝読しました。高性能マイクやスペクトラム測定、FFT解析、フィルタ処理を駆使しての実験は実に読み応えがあり、今後のレポートを楽しみにしております。

  3. 雨宮さん、コメントありがとうございます。
    マイクは一見高級そうに見えますが(そこが狙い^^)、USBで直接PCに接続できる普及品です。
    FFTはScilabという無料ソフトを使っています。
    ということで、時間はあるけど金がない私でも楽しく実験や解析ができます。
    続編もご笑覧いただければ幸いです。

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