春はあけぼの。冬は?

何十年ぶりか、もしかすると自分史上初めてかもしれないのだけど、今年の大河ドラマは初回から欠かさず見ています。

仮に例年の大河ドラマが99%のフィクションだとすると、今年は99.9%が架空のストーリーです。なにしろ歴史ドラマでありながら、主人公の名前すらも創作です。だからこそ作家(脚本家)の自由な発想が面白く、若き日の紫式部と清少納言とが談笑するなどといった平安ファンタジーを毎回楽しんでおります。

白状すれば、主人公である紫式部が書いた源氏物語は、高校の教科書に載っていた部分以外ほとんど読んだことがありません。ただ、もう一方の雄 ・・・ ん? 雌?? これも違うな・・・ ともかく清少納言が書いたとされる枕草子は数年前に一度、全段読みました。

枕草子 清少納言
島内裕子 校訂・訳
ちくま学芸文庫

この本は各段ごとに原文(ただし現代の解釈にもとづく漢字仮名交じり文)、現代語訳、島内先生による解説が載っています。文法の講釈などはほとんどなく、作者周辺の状況や当時の慣習、文物が説明されていて、興味深く読むことができます。

ベースになっているのは江戸時代に北川季吟が書いた枕草子の解説本「枕草子春曙抄」です。当時かなりの数が流布したらしく、多数のプリントが現存しています。国文学研究資料館の国書データベースのサイトなどで現物の紙面を見ることもできます。Yahooオークションにも出品されていますね。ちょっと欲しいかも。

さて、島内先生の本を読み始めると、すぐに違和感を感じるところがありました。最初も最初、第一段の春の記述です。転載します(本は縦書きで、漢字にふりがなが振ってあります)。

『春は、曙。漸う白く成り行く。山際、少し明かりて、紫立ちたる雲の、細く棚引きたる。』

これまでずっと「やうやう」から後ろは一文で、「しろくなりゆく」は「山際」にかかるものと思っていましたが、ここではそうはなっていません。そうすると山際ではなくて、あたり一帯がすこしずつ明るくなっていくといった感じでしょうか。

春曙抄を見てみましょう。

 所蔵:相愛大学図書館,柿谷文庫
 ライセンス:CC BY-NC

「。」がやたら入ってますね。変体仮名を現代のひらがなにして書き直しておきます。

『春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく。山ぎはすこしあかりて。むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。』

句読点の用法は現在と違うとは思いますが「・・・しろくなりゆく」で切れ目があります。「むらさきだちたる雲」がひとつながりであることと比べると、季吟先生は、山際が白くなっていくのではない、と考えていたように思われます。

たしかに、「山際」に対して、前から「しろくなりゆく」、後ろから「すこしあかりて」と、ふたつの修飾があるのは、煩わしく、情景が曖昧です。

古語の「しろし」には「著し」という字が当てられることがあります。「はっきりしている」といった意味です。これだと、「やうやうしろくなりゆく」は、時間の経過とともにあたりのようすがはっきりと見えるようになってくるといった意味にとることができます。

ここで、ワタクシ流の新たな考え。

『春はあけぼの。やうやうしろくなりゆく山際。少し明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる。』

春は夜明けの時間帯がいい。時間の経過とともに徐々にはっきりしてくる山の稜線を見ているのが楽しい。さらに時間がたって空が明るくなってくると雲の様子も確認され、それが紫がかって細く横にたなびいていたら最高だ!

ま、清少納言の時代は句読点など無かったので、解釈は自由です。バッハの音楽で、フレーズをどうとらえるか自由なのにも似ています。

もう一ヶ所「アレっ?」と思ったのは「冬は・・・」です。「春はあけぼの」「夏は夜」「秋は夕暮れ」ときて、冬は「早朝(つとめて)」というのが学校で習った記述だったわけですが、そうはなっていません。

『冬は、雪の降りたるは、言ふべきに有らず。』

これは季吟先生が採用した底本(能因本とかいう系統の写本)がそうなっていたからですね。もちろん「冬はつとめて」と書かれた写本もあって、他の季節の記述と合わせて考えれば、そのほうが自然だろうと思います。

さらに細かいところでは、秋の夕暮れにねぐらに帰るカラスの数が、「三つ四つ、二つ三つ」と覚えていたところ、春曙抄では「みつよつふたつ」となっていて、三羽足りません。

数百年にわたって人の手で書き写されてきたものですから、書き間違いや欠落もありますよね。あるいは勝手に解釈して加筆するとかも。

ところで、先日(2024年5月26日)の「光る君へ」の放送では、定子が枕草子の冒頭を朗読するシーンがあり、「ようようしろくなりゆくやまぎわ」と、ひと息で読まれていました。また「秋は」は、部分的に字面が見えて、カラスの数は「三つ四つ二つ三つ」でした。番組スタッフと季吟先生の意見は合わなかったようです。

「冬は」の部分は、朗読も字面の写り込みもありませんでした。残念。

・・・と、こんなことを考えたり、調べたりしながら見ているので、次週以降も楽しみです。

投稿日:
カテゴリー: Blog

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です