【枕草子春曙抄】序文(前半)

古文書読解の練習を兼ねて、春曙抄の版本から読めそうなところを読んでいきたいと思います。もちろん独力で完全に読解するのは無理なので、あの手この手を使っていきます。

第一の参考書は島内先生の本。
枕草子 清少納言 / 島内裕子 校訂・訳 / ちくま学芸文庫

それから、ほぼ正解が載っている、Tomokazu Hanafusa 様のサイト。
http://hgonzaemon.g1.xrea.com/makurasoushi.html

奥の手は、AIを搭載した古文書解読アプリ「みを」。
http://codh.rois.ac.jp/miwo/about/

これらがあれば99%以上の読解ができるものと思います。

何はともあれ、序文の前半を書き写してみます。

なお、表記は原則として以下によります。

■版本の1文字に1文字の表記を対応させる。送り仮名などを補ったりしない。
■漢字の異体字は現在普通に使われているものに置き換える。
■変体仮名は現在のひらがなに置き換える。
■句読点および改行は適宜変更(追加、削除)する。
■(・・・)は原文のふりがな。
■[・・・]は原文の傍注。
■踊り字のうち「くの字点([く]を縦にのばしたような記号)」は、[/\]と記す。
■不鮮明な文字などは、公開されている他の版本の画像と比較して判断する。


【序文(前半)】

春曙抄一

枕草紙は清少納言の筆作也。少納言は清原ノ元輔(モトスケ)のむすめなれば、其姓(シヤウ)を用ひて清少納言といへり。父の元輔は後撰(ゴセン)集の撰者、梨壺(ナシツボ)の五人のひとり也[天暦五年、梨壺にて、能宣、元輔、順、時文、望城等、後撰集をえらへり]。

清原氏系圖

天武天皇 ー 舎人(イヘヒトノ)親王[日本紀撰者] ー 貞代王 ー 有雄(ヲ) ー 通雄(ミチヲ)[賜(タマウ)清原ノ姓ヲ] ー 海雄[筑前守] ー 房則(フサノリ)[豊前守] ー 深養父(フカヤブ)[内近ノ允蔵人所ノ雑色] ー 顕忠(アキタヽ)[イ泰光下野守] ー 元輔[肥後守] ー 清少納言[此草紙の作者也]

玄旨法印ノ御説に、清少納言は一条院の皇后宮の女房と、云々。此皇后宮と申侍るは、中(ナカノ)関白道隆(タカ)公の御むすめ定子と申侍し。此草紙の所々に宮のおまへと侍る是也。然るに、栄花物語に三条院の女御淑景舎(シゲイシヤ)[道隆公女、定子妹]の御もとに宮づかへせしよし見えたり。愚案ルニ、此草紙に淑景舎(シケイシヤ)の御事は所々に出たれど此御局(ミツホネ)に宮づかへせし事は見え侍らず。但、此草紙にあらはせる人々の官(クハン)などを勘(カンカ)へ侍れば、一条院の長徳年中、長保元年、二年などの事どもにて、其のちの事見えざるにや。彼皇后宮は長保二年十二月十五日にかくれさせ給へり。淑景舎は、三条院の東宮にておはしましけるほどにまいり給ひて、四年ばかりや宮づかへし給へりけん。さて長保四年八月廿日にかくれ給へれど、猶皇后宮には二とせいきのこり給ひければ、かの皇后宮隠(カクレ)給ひてのち、はらからの御かたなれば、もし清少納言もまいりかよひたるにや。然らば、栄花物語に赤染衛門のしるせる所は、此草紙かける後の事にてや侍らん。可尋之。

新古今集ニ云。元輔がむかしすみ侍ける家のかたはらに清少納言すみける頃、雪いみじうふりて、へだての垣もたふれ侍ければ、申つかはしける。 赤染衛門

跡もなく雪ふる里は荒れにけり[家集たるを]いづれ昔(むかし)の垣(かき)ねなるらん[家集とか見る]

又、玄旨法印百人一首抄云。清少納言老後には四国のかたにおちぶれたる物と、云々。愚案スルニ、一条院の御代のはじめに道隆公関白し給ひ、定子皇后宮に立給ひて御威光(いくはう)もめてたかりしに、清少納言もかの皇后宮にめしまつはされて、上﨟の次にてまじらひ、其才(ざへ)いみじかりければ、内侍になすべき沙汰などの事、此草紙に見えたり。しかるに、中ノ関白殿[道隆]かくれさせ給ひて、御兄弟ながら御中よからざりし御堂殿関白し給ひて、上東門院入内ありて中宮にたヽせ給ひなどして、後には、伊周公、隆家卿など遠流の事ありき。皇后宮は女みこ男みこなどうませ給ひけれど、ほどなくかくれさせ給ひ、御いもうとの淑景舎(しげいしや)もうちつヾきてうせ給へれば、彼御かたの人は時をうしなひて、成出べきやうもなくなりゆきしに、清少納言も、さるあれたる所にすみ、四国にもさまよひ給ひしにこそ。此草紙にも其昔をしたふ思ひをのべて、此皇后宮の御威勢ありしほどの事を所々に書あらはし、我身の世にほめはやされし事ども数多かかれ侍しにや。或説に、清少納言誓願寺にて出家して、帝の御かへり見をかうふり、いみじき往生をとげて、彼寺に墓も有と縁起に見ゆ。時代にあはで、一旦はおちぶれしかども、終焉(じうえん)のさまはいみじかりけん事、才有し人のしるしめでたく侍るにや。

題号を枕草紙といへる心は、此草紙に「こと/\なる物、「めでたき物、など枕詞をかきて、さてそれ/\と書つらねられたれば、枕草紙といへるにや。但、此草紙の奥に云ク、

宮のおまへに内のおとヾの奉り給へりしを、是に何をかヽまし、うへの御前には、史記(シキ)といふ文(フミ)をなんかヽせ給へる、とのたまはせしを、枕にこそはし侍らめと申しかば、さはえよ、とて給はせたりしを、あやしきを、こよや[こしイ]何やと、つきせずおほかるかみのかずを書つくさんとせしに、いと物おぼえぬことぞおほかるや

と云々。枕にこそし侍らめとて申うけたる物にかヽれたる草紙なれば、まくらざうしと申侍るなるべし。草紙は双紙ともかけり。草紙は物の下がきを草案(アン)、草藁(カウ)などいへる。其心にて、いまだ清書をもしあへざる物とのこヽろにや。双紙はかみをならべてかきつらねし心なるべし。いづれも昔物かたりなどの惣名をいふ也。

此さうしの文体、やごとなき物にて、我国の至寶(シホウ)といはれし源氏物語に双び称(セウ)ぜられて、源氏、枕草紙と申つけ侍るにや。吉田の兼好ほうしがつれ/\草にも、此草紙を庶幾せる所々おほし。其筆のあや、詞の優美(ユウビ)、心の幽玄(ユウゲン)、更にいはんもいまめかしき儀なるべし。


支援ツールのおかげで、まあまあ出来たのではないかと思います。誤りなどありましたら、ご指摘いただけると嬉しいです。

ところで、他の版本と見比べていたら、私の本では濁点がないところがありました。

たまたま墨がのらなかったのか、たくさん刷っているうちに板木から欠け落ちたのか、そのあたりはよく分かりませんが、自分の本だけ見ていたら気がつかないところでした。ま、そんなこともあるでしょう。それにしても、振り仮名などの小さな文字まで、よく木版で印刷できるものだと思います。

引き続き、序文の後半にも取り組みたいと思います。


以下は私がスキャンした紙面です。ご自由にお使いください。

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