前回に続き、清少納言が音楽について語っている段を読みます。
第二百二段
【本文】
笛は
よこぶえ、いみじうおかし。とをうよりきこゆるが、やう/\ちかうなりゆくもおかし。ちかゝりつるがはるかになりて、いとほのかにきこゆるも、いとおかし。
車にても、かちにても、馬にても、すべてふところにさしいれてもたるも、何とも見えず[目にたゝぬ物なれは也]、さはかりおかしきものはなし。
まして、きゝしりたるてうしなど、いみじふめでたし。
あかつきなどに、忘れて[忍ひてきたる男なとの忘置たる也]枕のもとにありたるを見つけたるも、なをおかし。人のもとよりとりにをこせたるを、をしつゝみてやるも、たゞ文の[イたて文゛の]やうに見えたり。
さうのふえ[笙の笛也]は、月のあかきに、車などにて聞えたる、いみじうおかし。
所せく、もてあつかひにくゝぞ見ゆる[笙はよこふえのやうならて、かさ高けれは也]。ふくかほや、いかにぞ[何とやらん、よからぬと也]。それはよこぶえもふきなしありかし[イなめり]。
ひちりきは、いとむつかしう[イかしかまし]。秋の虫をいはゞ、くつはむしなどにゝて[イのこゝちして]、うたて、けぢかくきかまほしからず。まして、わろうふきたるはいとにくきに、りんじのまつりの日[賀茂臨時の祭也]、いまだおまへには出はてゞ、物のうしろにてよこふえをいみじう吹たてたる、あなおもしろときくほどに、なからばかりより、うちそへて、ふきのぼせたるほどこそ、たゞいみしう、うるはしきかみもたらん人も、みなたちあかりぬへき心ち[身の毛たちて面白き心也]そする。やう/\琴(こと)笛あはせてあゆみ出たる[御前のかたへ楽人の出る也]、いみしうおかし。
【解説】
とをうよりきこゆるが
人の笛ふきてありくをきく時也。又、人のふきゐる所を我ガとをりてきくさま也。両説皆可用。
文選長笛賦云、乍(アルトキハ)近ク、乍(アルトキハ)遠シ、とあるおもかげ有。
さうのふえ
笙。釋名ニ云、笙ハ生也。物、地ヲ貫生ニ象(カタト)ル。匏ヲ以、之をヲ為(ツク)ル。其中空ニシテ、以簧ヲ受也。
説文ニ曰、笙ハ正月ノ之音(コヱ)。物生ル故ニ之ヲ笙ト謂。三簧風ノ声ヲ象ル。
ひちりき
説文云、篳篥(ヒチリキ)、笳管也。芦ノ葉ヲ巻テ、頭ト為ス。竹ヲ截(キリ)テ管ト為ス。胡地ニ出ツ。
なからばかりより
横笛の調の半分ほどよりひちりきを吹たる也。猶口伝。
うるはしき髪もたらん人も、みなたちあがり
物のそゞろに面白き時は、毛髪立て、ぞつとするなり。
堀河後百首ニ俊頼、「琴のねのことぢにむせぶ夕ぐれは毛もいよ立ぬそゞろさむさに
【拙訳】
管楽器では、まずなんといっても横笛が好き。
遠くでだれかが吹いている笛の音が少しずつ近づいてくるときなんか、どきどきする。また、近く聞こえていた音がだんだん遠く小さな音になっていくときは、しみじみとした気持ちになる。
横笛は小さいので、牛車に乗っているときも、歩いて移動する時も、はたまた乗馬のときでも、懐に入れて、目立たないように持ち歩くことができる。そういう点は他の楽器にはない特徴で、そこがいい。
そんな愛らしい楽器で、よく知った旋律など聞くことができたら、何も言うことはない。
ところで、昨夜やってきた彼氏が忘れていった笛を、翌朝になって枕元で見つけたりしたら、こんなもの持ってきてたんだ、とおかしくなる。それを取りにきた従者に、丁寧に紙で包んで返すところは、後朝の文を持たせるときのようだ。
笙は、月が明るい夜、牛車に乗っているときに、どこからともなくその音が聞こえてきたら、気持ちがいい。
ただ、横笛に比べると、この楽器は大きく嵩張るので、取り扱いが難しそうだ。また、吹いている人の顔がよく見えないところがイマイチ。まあそれは、横笛を吹く場合も似たようなものだけど。
篳篥というのはうるさい音を出す楽器だ。秋の虫でいうと、ガチャガチャと鳴くクツワムシのようで、まったく近くでは聞きたくない音である。まして、下手な奏者が吹いたりするのは、ほんと勘弁してもらいたいと思う。
だけど、賀茂神社の臨時の祭りのときなんか、貴人の前に出て演奏する前の舞台裏で、まず横笛がいい感じに鳴って、素敵と思っていたところに、途中から篳篥が合わせてくるときなんかは、とても綺麗に調和して聞こえて、見事な長い黒髪を持った人もその髪を立たせるだろうと思うほどに感動する。
そして、いよいよ本番となり、弦楽器、管楽器の奏者が揃って帝の前に進み出る様子は、とても素晴らしい。
前の段の弦楽器に比べると、音色のことなど、詳しく、しかも情緒的に書いています。そして、横笛が大好きと言う様子が伝わってきます。
それにしても、笛を持って彼女の家に行くなんて、平安貴族はオシャレですねえ。なお、ギターが弾けてもそれで女の子にモテるようにはならない、というのはギター男子共通の認識です。関係ないか。
「しょうのふえ」といえば、子守唄に「でんでん太鼓」とセットで出てきますが、それは土産用のおもちゃですよね。ここで言っているのは、そうではなくて「笙」。カニササレアヤコさんが吹いているやつですね。そういえば彼女には、『「演奏中、顔が見えない」というクレームがあったので』というネタ動画があります。
篳篥が単独で出す音については、ひどい言われようです。しかし、他の楽器とのアンサンブルで醸し出される響きの美しさに言及するあたり、清少納言はさすがの審美眼です。
感動して髪の毛が立つという表現も面白いですね。昨今の「鳥肌立った」に通じるものがあるような。もっとも、季吟先生の注釈がなければ、「美しい髪をした貴婦人たちも思わずスタンディングオベーションをするほど」とか解釈するところでした。
表記の原則、参考文献等はこちらをご参照ください。
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以下は私がスキャンした紙面です。ご自由にお使いください。