【枕草子春曙抄】五月ばかり、山里にありく/いみじうあつき頃

さわやかな季節に、里山にハイキングに行った清少納言。


第二百四段

【本文】
[是より例の筆のすさひ也]

五月ばかり、里山にありく、いみじくおかし。

沢(さは)水も、げにたゞいとあをく見えわたるに、うへは、つれなく草おひしげりたるを、なが/\とたゞさまにゆけば[イたゝさまになが/\とゆけは]、したは、えならさりける[清潔なる也]水の、ふかふはあらねど、人のあゆむにつけて、とばしりあけたる、いとおかし。

左右にある垣[生垣なるへし]の枝などのかゝりて、車の屋かたにいるも、いそぎてとらへておらんと思ふに、ふとはづれて過ぎぬるもくちおし。

よもぎの、車におしひしがれたるが、わのまひたちたるにちかふかゝへ[イたりけるに、おきあかりて、ふとかゝへ]たる香も、いとおかし。

【解説】
うへはつれなく草おひ
うへは何ともなく、水草生たる也。後撰恋五
「蓮葉のうへはつれなきうらにこそ物あらがひはつくといふなれ
此詞はかりとれり。

ちかふかゝへたる香
蓬の匂ひ間近゛くしたる心也。
前にも、汗のかすこしかゝへと有。

【拙訳】
気候のいい5月頃に、里山にハイキングに行くのはとても楽しい。

沢の水がずっと向こうまで青く見渡せるところに来た。近くの地表は草がただ生い茂っているように見えるので、どこまでも真っ直ぐに進んでいくと、足元はおどろくほどきれいな水が流れ、深くはないのだけど、お供の従者たちが歩くにつれて水が跳ね上がる。それがとても気持ちよさそうだ。

また、狭い道を進むと、ときどき左右の生垣の枝が牛車の屋形に入り込んでくる。それを急いでつかまえて折ろうとするのだけど、取りそこねてしまった。残念。

よもぎが踏み潰されて、車輪に貼り付く。それが廻って屋形の高さまで上がってくると、いい香りがする、そんなこともハイキングならではの楽しさ。


牛車つながりで、次の段も読んでみましょう。

第二百五段

【本文】
[是亦一段也]

いみじうあつき頃、夕涼(すゞ)みといふほとの、物のさまなどおぼめかしきに、男車゛のさきをふは[君達などのさま也]いふべき事にもあらず、ただの人も、しりのすだれあげて、ふたりもひとりものりてはしらせていくこそ、いとすずしげなれ。

まして、琵琶(ひは)ひきならし[車の内にてひく也]、笛のねきこゆるは、過ぎていぬるも口おしく、さやうなるほどに、うしのしりがいのかの、あやしふかぎしらぬさまなれど、うちかがれたるが、おかしきこそ、物くるをしけれ。

いとくらうやみなるに[是は我のりてゆくさま也]、さきにともしたる松[炬火也]の煙(けふり)のか[香也]の、車にかかれるもいとおかし。

【解説】
いふへきにもあらす
さきをはするほとの人の車なれば、其優悠《?》はいふも更なりとの心也

あやしうかきしらぬさまなれと
鞦の香なれば也

物くるをしけれ
狂の字也
あやしき物の香に愛着すれば也

【拙訳】
とても暑い季節、外で夕涼みをしているうちに、うす暗く、辺りの様子もよく分からなくなってきた。

何台もの牛車が行き交う中に、先駆けを走らせるような高貴な人の車は言うに及ばず、並の身分の人の車も、後ろの簾を上げて、せいぜい二人か、あるいは一人でゆったりと乗っているのは、いかにも涼しそうである。

まして、車の中で琵琶を弾いたり、笛を吹いているのが聞こえたりすると、なんと優雅なんだろうと思う。過ぎて行ってしまうのが残念である。

そんなことを思っていると、牛と車をつなぐ鞦(しりがい)の匂いが漂ってくることがある。ふだん嗅ぐことのない不思議な匂いで、奇妙な気持ちになってくる。

そういえば、暗い夜に自分が牛車の中にいるときは、前方に掲げた松明の煙の匂いが屋形にもかかることがあるけれど、それもそれで趣深い。


牛車といったら、つい「おじゃる丸」を思い浮かべてしまいますが、それはさておき、このふたつの段は、「牛車」つながりなだけでなく、「香り」つながりでもありました。

実はこのあとに続く二段も「香り」がテーマです(第二百六段は、五月の菖蒲の香りが冬まで残っていたという話。第二百七段は、着物に焚き染めた香の話)。枕草子には、このように連想からどんどん話が移っていく面白さがありますね。

それにしても、牛車の車輪についたよもぎの匂いに気づき、それを書き留めるなんて、やはり清少納言はただものではありません。

ところで、どうしても読めない字がありました。第二百五段の頭注なんですが、3行目の下から4文字目。

AIの”miwo”は「怒」と出してきました。その前の字は「優」と読めるのですが、「優怒」なんて言葉は聞いたことがありません。

「悠」でしょうか? 夏目漱石に「優悠」を「おっとり」と読ませる例があるようですが、どうもピンときません。

これがどういう字か、ご存知の方、あるいはこうじゃないかというお考えのある方、ぜひご教示ください。


表記の原則、参考文献等はこちらをご参照ください。
誤りなどありましたら、ご指摘いただけると嬉しいです。
以下は私がスキャンした紙面です。ご自由にお使いください。

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