北村季吟の「枕草子春曙抄」で読む枕草子、いよいよ本文に入っていきます。
春曙抄は、枕草子の本文とともに、季吟先生による解説が書いてあります。解説は基本的にページ上部に「頭注」の形で載っており、入りきらない分は本文の後ろに回り込んでいます。また、それとは別に、本文の中に「傍注」の形でひとこと書いてある場合もあります。
では、なにはともあれ、第一段から。
第一段
【本文】
春はあけぼの。やう/\しろくなりゆく。山ぎはすこしあかりて[あかくなりたる也]、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
夏はよる。月のころはさらなり。やみもなを、ほたるとびちがひたる。雨などのふるさへおかし。
秋は夕ぐれ。夕日はなやかにさして、山ぎはいとちかくなりたるに[日の入りかたちかき也]、烏(からす)のねどころへゆくとて、みつよつふたつ[文躰奇妙にや]なンどとびゆくさへあはれなり。まいて、雁などのつらねたるが[烏さへあるに、まして雁は面白きと也]、いとちいさくみゆる、いとおかし。日いりはてて、風のをと、虫のねなンど、いとあはれなり。
冬は、雪のふりたるは、いふべきにもあらず。霜なンどのいとしろく、またさらでも、いとさむき。火なンどいそぎおこして、すみもてわたるも[炭もちてありく也]、いとつき/゛\し[似合しき心也]。ひるになりて、ぬるくゆるびもてゆけば、すびつ、火おけの火も、しろきはいがちになりぬるは[ぜうといふものになりたる也]わろし。
【解説】
春はあけほの。やう/\白くなりゆく
曙アケホノ。昒同。
まつ時節の景を書出たり。爾雅ニ云ク、春ハ青陽為(タ)リ。万物發生(ハッセイ)ス。はるはよろつの物生する初めなれば、發端にかけり。此發端に、春は曙を賞していへる少納言の心あらはれて、枕双紙一部の形容もこもり侍るべし。
其次に夏はよるを賞したる。以下、実に奇妙にや。
此のち堀川百首、六百番哥合なとにも、春の曙といへる題を出され侍り。其外、哥にあまたよめり。
むらさきたちたる雲の
曙の雲のうす黒きに、日影うつろひて、紫の色めきたる也。
夏は夜
昼は暑氣の堪かたけれは、夜を賞したるにや。さらても、夏は夜を賞して、朗詠にも夏夜の題あり。
月のころはさらなり
月の夜頃は、いふも今更也。勿論の事と也。
秋は夕くれ
朗詠にも秋晩の題あり。
秋は猶 夕ま暮こそ たゝならね 荻のうは風 萩の下露
なともよめり。
からすのねところに
綺語抄云
夕まくれ ねにゆく烏 うちむれて いつれの山の みねにとふらん《拾遺愚草 巻中 韻哥百廿八首 夏》
冬は雪のふりたるはいふへきにもあらす
いはんかたなく、面白き心也。
又さらでも、いとさむき
霜雪の降頃ならても、冬は寒きをもてはやすべしと也。
ぬるくゆるひもてゆけは
別に冬の寒(サム)きを愛したる心をことはる詞也。
冬も、昼(ヒル)は寒さもぬるくぬるみゆけは、埋火(ウツミヒ)なとも疎略(ソリヤク)になりたるはわろしと也。
冬の朝の寒きに、炉火(ロクハ)もてあそふこそつき/\しけれといはんための詞也。
【拙訳】
春は、夜明けどきが美しい。
空が白んできて、あたりのようすが徐々にはっきりしてくると、今日はどんな日になるのだろうと、ワクワクする。
東の山に目を向けたとき、稜線の上がわずかに赤くなっていて、そこに紫がかった細い雲が浮いているのを見ると、きっとすばらしい一日になるだろうことが予感される。
夏は夜がいい。だって、日中は暑いから。
月を見ながら涼むことができれば最高だ。
月のない夜は、蛍が飛び交うのを見るのも楽しい。
いっそ雨でも降れば、暑さが和らぐので、それも悪くない。
秋は夕暮れが趣深い
夕日が最後の輝きを放ちながら西の山の稜線に近づく頃、カラスも山のねぐらに帰るのか、数羽ずつ連れ立って飛んでいくのを見ると、一日の終わりが近いことを実感する。
カラスを見てさえもそんな思いにとらわれるところ、高い空を雁が連なって飛んでいるのを見たら、今日も楽しかったなあという思いをいっそう強くする。
日がとっぷりと暮れてしまうと、虫の鳴き声がとてもよく聞こえるようになる。そして庭の草木を揺らす風の音を聞きながら、いつしか眠りにつく。
冬は、目覚めたときに庭に雪が積もっていたら何も言うことはない。霜などで地面が白ければそれもいいが、そうでなくても、キンキンに冷えた寒い日がいい。そういう日の朝に、大急ぎで火を起こして、暖房用の炭を各部屋に持っていく様子は、ピンと張り詰めた雰囲気に満ちていて、これこそ冬の朝というべきである。
だけど、昼になり、日差しも出て、すこし暖かくなってくる頃には、緊張感がなくなり、炭の火力を埋火でコントロールすることもしなくなって、そもそも真っ赤に熾っていたはずの炭も、熨(じょう)という燃えカスばかりになって、見た目にも美しくない。
季吟先生の解釈・解説を取り込んで、枕草子の本文を現代語訳をしてみました。ご笑覧ください。
解説に「奇妙にや」が2箇所ありますが、これは現代語の「絶妙」などに近い褒め言葉ですよね。それから、「曙」の説明に「昒に同じ」とあります。「昒」なんて字は初めて見ましたが、「曙」の説明に使われたということは、かつては一般的な言葉だったんでしょうかねえ。
さて、次はどこを読もうかな。
表記の原則、参考文献等はこちらをご参照ください。
誤りなどありましたら、ご指摘いただけると嬉しいです。
以下は私がスキャンした紙面です。ご自由にお使いください。